NARC通信 第10号

NARC通信 第10号

平成17年7月1日発行

  

第2回ラオス体験ツアー


平成15年11月の第1回ラオス体験ツアーに続いて、平成17年3月に第2回ラオス体験
ツアーを行いました。参加者は第1回に参加してくださった田井中勝次さん、野村チエ子
さん、池ノ上絹子さん(世話人の義妹)、平成16年4月にラオス骨董事情調査をしてくだ
さった鈴木敬二さん、初参加の田井中さんのお嬢さん田井中はつみさん、それに私(世
話人池ノ上宏)の6人です。コースは古都ルアンパバーンから陸路北上して、中国雲南省
のシーサンパンナー・タイ族自治州の州都景洪に行き、空路雲南省の省都昆明に至るとい
うものです。中国との国境まではNARC現地世話人のボリチャンさんに同行してもらいました。

3月20日(日)
19日に日本を出発、バンコクで1泊して20日の朝ビエンチャンに着きました。空港にはJICA
専門家としてラオスに赴任していた茶木博之君(鈴木さんの大学時代の愛弟子)、ボリチャ
ンさん等が迎えてくれました。ボリチャンさんの家に荷物を置き、ビエンチャンの名刹シ
サケート寺院とプラケオ寺院を見物し、昼食はもち米、ラープ、メコン川の魚の唐揚げ、
焼肉、漬物、トムヤム・パーなどラオス料理に舌鼓を打ちました。午後はトンカンカム市
場を見物して、夕方には飛行機でルアンパバーンに飛びました。空港にはボリチャンさん
が手配したミニバスが待っていて、ラマホテルという中級ホテルにチェックインしました。
夕食はパク・ホワイ・ミーサイというラオス人も良く利用するレストランでルアンパバーン
料理を食べました。

3月21日(月)
朝早く起きて托鉢僧の行列を見物(私だけは寝坊して遅刻)したあと、元気があまっていた
ため150メートルを一気に登りプーシーの頂上で朝もやに霞むルアンパバーンの町を一望し
ました。プーシーを下りて道端の屋台で朝食に安くてうまいソバを食べ、ルアンパバーン随
一の名刹シェントーン寺を見物した後、ボートを雇ってメコン川をさかのぼりました。まず
右岸の村(サーンハイ村)に上陸し、ラオラオ(ラオス焼酎)の蒸留を見たり土産物屋をひ
やかしたりしました。ラオラオに薬草とサソリを漬け込んだいかにも強壮作用がありそうな
酒を売っていて、田井中さんが完璧な姿のサソリ入りを厳選して買い、私も真似して買いま
した。骨董の権威である鈴木さんは土産物屋の一軒で錆だらけの大きな鉄製の鈴を買いまし
た。珍しい価値のある鈴とのことです。さらにメコン川を少しさかのぼりタムティンの洞窟
を見物しました。大小無数の仏像が供えられた洞窟で家内安全・商売繁盛を祈り、息を切ら
して階段を登ってタムプンの洞窟も見ました。ボートでメコン川の支流のウー川に入り、川
岸の見事な絶壁を眺めながら川沿いのレストランで昼食をしました。午後は美しいクワンシー
の滝を見物した後、紙漉きと織物の村を見物してこの日の盛りだくさんな観光を終え、ラマ
ホテルの近くで赤十字が経営するサウナとマッサージの店で疲れた身体を癒しました。

安くてうまい屋台のソバ
ウー川の絶壁

3月22日(火)
朝6時、ミニバスでルアンパバーンを出発、まっすぐ北上して8時にパクモン村で朝食となり
ました。やせた鶏の蒸したのともち米を食べましたが、それでは物足りずにソバも食べまし
た。この村は東のシェンクワン、西のウドムサイ、南のルアンパバーンへの分岐点という交
通の要所で、小さな中国系の食堂や安宿がたくさんあり行商人のような中国人がたむろして
います。ここから西に向かい、舗装が悪い山道を3時間揺られてウドムサイに着き、コーヒー
屋で一服しました。ウドムサイから北へ中国との国境の村ボーテンを目指して出発して間も
なく、道が大きな倒木でふさがれていて前へ進めません。どうなるかと思っていたら、通り
がかりのトラックがワイヤーで倒木を引きずって通り道を開けました。ラオスの運転手達は
こういうことには馴れていて要領を心得ています。2時半無事にボーテンに着きました。国境
で日本女性バックパッカー一人旅に会いましたが、我々オジさんおオバさん主体のグループ
には冷たい視線を投げかけただけでした。ラオスの出国手続き、中国への入国手続きを済ま
せ、ボリチャンさんと別れてシーサンパンナーのモーハンに入りました。ここで時計の針を
1時間進めます。両替屋がたくさん寄ってきたので一番声の大きいおばさんを選んでラオス
キープを中国元に替え、ミニバスの手配もしてもらいました。中国に入ると畑がラオスより
大規模になり、手入れされた茶畑やゴム林が続きますが、人や家の姿はラオスとの連続性を
感じさせます。6時にモンラーに着き、金橋大酒店という見かけの立派なホテルにチェックイ
ンしました。宿代はシングル50元(750円)です。夕食は四川料理を食べましたが、中国通の
鈴木さんによると本格的中華料理とはいえないとのことで、食べ物の面でもシーサンパンナー
はラオスの続きだと感じました。夜のモンラーはカラオケ屋など風俗店が目立つ町でした。

道をふさぐ倒木
モンラーの大通り

3月23日(水)
タイ族自治区とはいえ中国なのだから朝食はうまい粥にありつけるのではないかと探しまわり
ましたが、現地の人は皆ソバを食べています。やっと粥らしきものを出している屋台を見つけ
ましたが、出されたのは味もそっけもない五穀米の粥で期待が裏切られ、中華饅頭を食べて何
とかしのぎました。9時40分発の18人乗りミニバスで景洪に向けて出発しました。モンロンの
バス停で昼食休憩、食堂でぶっかけ飯を食べました。バス停の公衆便所は噂に高い中国式共同
便所で皆ド肝を抜かれました。景洪着は3時でした。荷物運びの人力車が寄ってきたのでその
うちの1台に全員の荷物の運搬とホテルへの案内を頼んだところ、前に泊まった市外貿賓館とい
うホテルへ連れて行ってくれました。皆で街をぶらつきながら雲南航空に行き昆明行きの切符
を買いました。夕食はショッピングセンターにある炒飯屋で3種類の炒飯とスープにビールで
したが、炒飯をたくさん注文したので無理して食べ、ついに食べ過ぎで苦しくなりました。

3月24日(木)
朝食は手打ちソバ(両手で派手に引っ張りながら麺をつくる)。いろいろなトッピングが用意
されていて客は好きなのを選んで入れる方式です。どのトッピングも正体が分からずでたらめ
に入れたのですが、おいしいソバでした。バスでメコン川沿いの村カンランパーへ行きました。
バスから降りたとたんにしつこくトクトクに勧誘され、連れて行かれたのはタイ族の村をテー
マパークに作り直した所でした。踊りやタイ族の水かけ祭りのショーをやる時間が決まってい
て、時間に合わせて観光バスで団体が乗りつけるシステムです。我々は昼前に着いたのですが、
まだほとんど誰もいません。声をかけてきたオバさんについていったところ、彼女のタイ族式
民家が食堂になっていてタイ族風料理を出してくれました。民家はそれなりに雰囲気の良い家
だったのですが、我々のそばでは客だか家の者だか分からぬ男たちがずっとマージャンをやっ
ていました。ショーの時間まで暇があったので、メコン川の川岸に出て皆で童心にかえって平
たい石をひろっては水切りをしました。ショーは3時半から始まり、その頃には中国人観光客が
たくさん集まっていました。踊りも水かけ祭りもそれなりに面白かったのですが、本来タイ正
月にのみやる水かけ祭りをショーとして毎日やるのはどうかという違和感も抱きました。ミニ
バスを乗りついで景洪にもどり、夕食は肉まんとアンまんでしたが、また注文しすぎて食べ過
ぎました。

タイ族民家で昼食

3月25日(金)
朝、景洪くらい大きな街ならおいしい中国粥があるだろうと探しまわりましたが結局見つけたの
は味もそっけもない五穀米の粥でした。鈴木さんは一人で民族風情園へ。残りの4人は熱帯薬草
園へ行き、得体の知れない薬草を少し買いました。昼は皆で雲南名物の過橋米銭(つけソバ)
を食べました。午後、景洪から昆明へ飛び、茶花賓館というホテルにチェックインしました。
夕食はホテルの隣にあるレストランシアターで民族舞踏ショーを見ながら過橋米銭を食べるは
ずが、時間を誤って結局ショーは観られずソバを食べただけでした。

3月26日(土)
田井中さん父娘は別行動で買い物、残りは雲南省博物館へ。銅鼓の展示を見たり、鈴木さんの
解説を聞きながら中国陶磁器の展示を見たり、みやげ物売り場を見たりしましたが、鈴木さん
によるとみやげ物売り場の陶磁器はすべてコピーで買ってもしようがないとのことでした。街
をぶらついて勝利堂近くの賑やかな市場の一角で「古名居」という看板を掲げた家に入ってみ
ると、それは立派な中国家屋を食堂に改装したもので、中国映画の場面に入り込んだような気
になりました。中庭で強い中国焼酎と焼き鳥を食べ、一昔前の金持ち中国人の気分を味わいま
した。午後の飛行機で昆明からバンコクへ飛び、バンコクで1泊して27日に帰国しました。

お蔭様で、倒木で道がふさがれた以外はトラブルがなく、予定したとおりの日程で全行程を周
ることができました。参加してくださった5名の方々に心からお礼申し上げます。
(池ノ上)